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ここは中国か・・・!

 まだまだ地震の影響が続いている。  男爵様は津波被害の映像が頭から消え去らない。  またまた支援物資を集めに走った。  集める物資の検討はついているが、本当に被災地で欲している物は中々手に入らない。  今回は地元の大手パン会社に狙いを定めた。  朝一番に焼いたパンが、直接工場の売店で売り出される。  男爵様も買い出しの列に並んで段ボール3箱分の色々なパンを買った。  値段は市価の約半分・・!  車の中はパンとその他の物資で一杯になった。  行く場所は、テレビに大々的に取り上げられない比較的に小さい漁村に決めた。  現地は何処の被災地も同じで、これが日本の一部かと思うと何だか空しい。  所々に流されずに残った家があって、住民の人が家の手入れをしている。  しかし、住めるようになるには相当の費用と日数がかかりそうだ。  男爵様は思い切って住民に近寄り話しかけてみた。  色々な当時の様子を聞かせてくれたけど、頷くだけで中々返事は返せない。  ここは聞くだけにしようと思って、焼きたてのパンにお茶とコーヒーを合わせて配って歩いた。  でも家の手入れをしている人は少ない(4~5軒位)ので物資は避難所に持って行った。  そこの入り口にはテーブルが置いてあって、泥に塗れた写真・オモチャ・飾り物・アルバム等が並べられていた。  避難所にいる人が、自分の物を見つけれるように置いてあるとのこと。  天気のよい日だったので、外は洗濯物が一杯だった。  救援物資の受付をしたが、そこにはギャルの役場職員がいた。  明るく美人で・・・これならもっと物資を持ってくるんだった・・・なんて不埒な考えも起きかけたけどグッと堪えた。  帰りは何か心が弾むような気がしたけど、これも不埒かな・・!  話を戻すけど、地震直後は街(岩手県内陸部)が変った。  電気、水道は3日後に復旧したけど、交通機関や商店は全て止まってしまった。  交通網がズタズタになったのでガソリンを始めとして物資が被災地以外でも入ってこなくなってしまった。  商店やコンビニが営業しないと、街灯だけでは街は真っ暗だ。  男爵様は躓きながらも暗い町の舗道を歩き続けたけど、誰も襲ってこない。  女子高生も肉食熟女も誰も襲ってこない・・!  これは安心するべきか、悲しむべきか・・!  そして異変が起こった。  街の自転車屋とホームセンターから自転車が消えてしまった。  交通機関がマヒしたので、通勤用に皆が自転車を買って利用していたのだ。  「自転車売り切れ」の張り紙があちこちに・・!  朝晩は自転車の洪水で、一瞬ここは中国かと思ったよ。  でもマナーがいいから、ここは日本だと気付いた。  暫くしてからはバスが運行するようになったけど、一日60便運航していたのが一日たったの3便・・・!  超満員だけど、大半の通勤者は乗れなくて自転車だ。  マイカーもガソリンが無くてチラホラしか走っていない。  まるで戦後の日本か・・!  あれから一カ月・・街は以前の状態に戻り、被災地も元気が出てきた。  これも全国の皆さんの応援と協力の賜物だと思います。  有難うございます。  次回は以前に勤務した福島と全国からの緊急応援部隊について書きたいと思います。  時間があったら覗いて下さい。    

男爵様、冷や汗をかく・・!

 「もう聞き飽きた、見飽きた」と言う人もいるかもしれないけど、東日本大地震は凄い被害を起こしている。  最初の頃はテレビと新聞で情報を得て、それなりに大きな被害だと感じてはいたが・・!  そして自分には何が出来るか考えてみたけど(真剣に考えたんだよ?)、答えは簡単には出てこない。  取りあえずは、少ない自分の小遣いを義援金としてNHKに置いてきた。  義援金を収めた箱を覗いたら、1万円札が大部分。  1千円札は端の方に何枚かだけ。  コインは見当たらない。  男爵様も負けじと見栄を張って大枚を寄付してきた。  少し時間が過ぎると、被災地の裏の様子が段々と見えてくる。  最初不足していた毛布や衣類、そして飲料水等も段々と行き渡っている。  今は衣類は肌着を中心として新品を、そして食料品はビタミン類を補うための野菜が求められている。  不用品を片づける心算で必要ないものを持って行くと、受付を断られるから注意が必要だ。  寄付はしたけど、この3週間は何か落ち着かなくて夜も良く寝れなかった。  そこでいっそのこと現地に行ってみるかという気持ちになったが、被災地荒らしやギャラリーが目立つとの記事が目につき一考したが・・・!  道路も一般車の通行解除、ガソリンも自由に給油可能ということになったのでここは行かねば・・・!  でも、火事場泥棒や冷やかしのギャラリーと間違われないように、現地で欲している物を持って行かなくちゃ・・!  現地に行ったことのある或る人のブログから、今現地で必要なものが大体分かってきた。  そこで地図と被害状況を自分なりに調べて・・そして今必要な品物は何かをチェックして予定を立てた。  行く数日前から近辺のスーパー、ホームセンター、薬局等を回って必要な品物の調達を始めたが、とにかく品切れが多い。  被害に遭わない人が万が一のために買いだめしている。  物資集めに何100キロ走ったことか・・!やっと品物を見つけたけど、小心者(?)の男爵様には中々口に出せない物があった。  それは整理用品だった。  被災地の避難者の半分は女性。  賞味期限の過ぎた熟女(?)を差し引いても、被災者の30%を締める女性はそれを必要としているのではないだろうか!  薬局で店員さんに話をするときも、あの・・あの・・あの・・と、「あの」を3回も言ってしまった。  やっと話が通じて目的の品物を出して来たけど、何故か2種類あった。  店員さんの説明では「昼用と夜用だけどどっちにしますか」だって。  そんなこと聞かれても、男爵様はただ目をパチクリするだけ。  面倒くさいから両方買うことにした。  しかし、現地に行ってからの被災地の救援物資担当者が、役場の若い男性職員だったのでここでも押し問答が起きてしまった。  整理用品は表からは分からないように、青い厚手のビニール袋に入っていた。  担当者に渡す時に、男爵様は「これは若い女性用の品物です」と言ってしまったから、相手は「はぁ・・」と言って一瞬躊躇した。  「女性はこれが無いと困るんですよ」と言って聞かせて担当者はやっと理解してくれたけど、男爵様は心なしか額に汗が滲んでいた。  救援物資を運ぶ時は愛人(?)か誰か、女性同伴でないと駄目だね。  物資受付も女性(美人だと物資が集まる・・但しこれは男爵様個人のいけんです)を配置しないと・・・また男爵様は冷や汗をかく。  受付が若い女性だと、男爵様は又物資を持って行くよ(?)。  テレビに映る被災地は、大きくても50インチのテレビ画面に限られるけど、男爵様は被災地に入って現地を見た途端に人生が変った気がしたね。  目の前どころか前後左右、360度が建物が無い・・!  木片、鉄骨、瓦、泥まみれで潰れた車、残った建物の上に停泊(?)している船が見えるだけ。  遠くには真っ青な波一つない綺麗な海が見えるけど、この海の津波が海岸から物を・・そして命を飲み込んでしまったなんて考えられない。  その被害をもたらしただけでなく、原子力発電所を破壊して日本人・・いや地球人を恐怖に陥れている・・・!

 連載にする心算は有りませんが、この記事はまだまだ終わりません。  でも紙面の都合(?)で今回はここで一息入れます。  災害派遣の自衛隊の事、各県から派遣された警察官、  原子力発電所の事(男爵様は5年間関係していた)等、色々と書くので次回も付き合って戴けると幸せです。               

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